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びん博士インタビュー(5)

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牛田:今までどんな方がボトル・シアターを尋ねたのですか。


びん博士:ほんとうにさまざまな人たちです。本を読んでいらした方、そうそう瓶好きの刑事さんもいらしたことがありますね。興味のあった指紋検出用瓶のことを逆にいろいろ聞いてしまいましたね。テレビを見ていらした人もいますね。いつぞやはおもむろにハンドバックから香水瓶をとり出し、オジとの不倫愛の思い出の香水瓶なのですが、預かって欲しいっていう人もいましたね。

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びん博士インタビュー(4)

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牛田:これは何ですか?


びん博士:標本箱に瓶が入っているのですよ。水戸で行われた展覧会のときに作ったものです。資生堂がまだ西洋薬舗資生堂と名乗って薬を売っていたときの時代のものです。これは西南戦争のときにばか売れしたといわれています。その頃、何にでも効く万能薬として市販されていたのですよ。でも実はモルヒネとか、強烈な薬が入っていたのです。戦争時はすべてが緊急でしたから、一発で効かないと駄目なのです。とにかく爆発的に売れたのですね。「神薬」とか言うと、いかにも日本の薬っぽい名前ですけど違うのですね。

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びん博士インタビュー(3)

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牛田:この大きい瓶はなんですか?


びん博士:これはトリスウイスキーっていって、寿屋が作った巨大な広告瓶です。昭和30年代になるとトリスバーには必ず置いてあるものでした。一時代流行したものですね。中身は入ってないですよ。これは広告用のものです。


牛田:広告用なのに瓶なのですね。


びん博士:そうです。無理して入れれば、10升は入ると思います。戦前の広告瓶は酒屋の店の屋根の上に針金でくくりつけてあったのですが、みんな10升入る瓶でした。

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びん博士インタビュー(2)

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牛田:このラムネ瓶はビー玉が底のほうにあるのですか。


びん博士:底玉式っていうのです。昭和の初めに富山で翠田辰次郎という人が開発しました。普通の玉ラムネ瓶は1872年にイギリス人ハイラム・コッドによって発明されたのです。それを真似た国産第一号瓶は、明治25年頃に大阪の今はなき徳永硝子会社の創始者・徳永玉吉によって作られたといわれています。徳永硝子というのは戦前には飛ぶ鳥を落とすいきおいの会社でした。徳永硝子の50年史の中に徳永玉吉がイギリス製のラムネ瓶をそっくり真似たという記述が残っています。洋文字までガラス瓶に入れてしまったのですよ。つまりオリジナルのイギリスの会社名をです。ダン・ディダンスというのですけど。それがために特許違反で警察に呼び出されたというエピソードが掲載されていました。ただそれを私は冗談だと思って信じていなかったのです。いくら真似するっていったって洋文字まで入れないだろうってね。ところがあるとき、ラムネ瓶に洋文字が入っているのを見つけたのです。それは徳永硝子のものではなかったのですけどね。当時洋文字を入れると箔が付くというのがありました。玉吉にしてもそうしたのだと思うようになりました。おそらく本当の話しだったのですよ。

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びん博士インタビュー(1)

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今回はなぞに包まれたびん博士、庄司太一さんにお話を伺ってきました。映像作家かわなかのぶひろ先生から、びん博士を紹介していただきました。びん博士はガラス瓶研究家です。『びんだま飛ばそ』(PARCO出版、1997年)、『平成ボトルブルース』(廣済堂出版、2001年)などの瓶についての書籍があります。さらにミュージシャンとしても活躍されています。

インタビュー場所はびん博士が主宰するボトル・シアターです。ものすごい数の瓶、瓶、瓶。瓶のおばけがでるのではないかという怪しい劇場です。というのは冗談で瓶が光をあびて、とても綺麗な劇場でした。劇場は予約制です。びん博士、貴重なお写真ありがとうございました。


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文筆業 切通理作インタビュー(6)

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牛田:俳優さんはまた頼まれたらやります。


切通:もちろん。俳優は自己発見のおもしろさがある。言われたとおりにやっているだけなのに、出来た映像を見ると「自分ってこうだったのか」って思うんです。全部自分でコントロールする物書きの世界とは違う醍醐味があります。


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文筆業 切通理作インタビュー(5)

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牛田:切通さんのブログのなかに「自分の存在を投企するために他者にそれを増幅して求め、醜い総括リンチを繰り返す閉塞を自ら作り出したともいえる彼女(永田洋子)にとって、ようやく訪れた、世界と自分が一致した瞬間」という文章がでてくるのですが、これが御著書の情緒だと思いました。


切通:永田洋子の『十六の墓標』(1982年、彩流社)を読んだときにそれは否定できないと思いました。最後の1、2頁です。逮捕される瞬間。あそこは美しい。ただそこを固定化して現実を否認するのは情緒とは逆かもしれないですね。


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文筆業 切通理作インタビュー(4)

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牛田:切通さんにとってこれは頼まれても書きたくないものってありますか。


切通:仕事で来たものに対してはほとんど断ったことないんです。自分がもともと興味を持っていたことだけでなく、相手がドアを開いてくれることがあります。例えば、ある本の書評をしてくださいって仕事があって、存在も知らない本だったりするわけですよ。自分の趣味だけで読んでいればその本に出会わない。自分の見方だとどうしても時代の片側だけみていたりしますからね。時間的な問題で出来ないことは辞退することもありますけど、その場合でも時間がもう少しあれば出来るだけやろうとします。僕、薔薇族映画で『ゲイのおもちゃ箱』(ENKプロ、1993年)というオムニバス作品の一つで脚本を書いたことがあるんですよ。それが経歴に載っていて、ゲイ・カルチャーの歴史を書いて欲しいという仕事がきたのですね。いつまでですかって尋ねたら三日後だったのです。全然知らない世界だったからご辞退したのですが、時間があれば調べたかったですね。

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文筆業 切通理作インタビュー(3)

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牛田:文筆業は孤独な感じがするのですが、何か書いてはげみになったことなどありますか。


切通:昔、僕の最初の本『怪獣使いと少年』を川本三郎さんが読んでくれて、「細部が豊かなので、大きな論が浮かび上がってこないのがいいです」って葉書を頂いたのですね。僕は作家論など書くときには、この言葉を座右の銘にしています。細かすぎて論が浮かび上がってこないきらいがあるというのは批判にも使えますよね。でも川本さんはそれがいいって言ってくれたんですね。それで映画とかアニメを対象にするときには、もちろん言いたいことはあるのですが、細部のほうを大事にしようって思ったのです。僕は書き方に二系列あって、社会評論系はすぐに言いたいことがわかる表現にしようと思います。作品論、作家論系は、読んでくれた人が、言いたいことがすぐに浮かびあがってこないようにしています。『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞をいただいたときの審査委員に川本三郎さんがいらっしゃったので、その点を認めてくれたのかなって思ってうれしかったですね。


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